「コペルニクスの地動説が受け入れられるのに、100年ぐらいかかったのではないか」、という説があります。昨年、惜しくも若くして亡くなった、敬愛する京都大学の滝本准教授によれば、科学史家トーマス・クーンが 1962 年に刊行した「科学革命の構造」の中でパラダイムという概念を発表しました。その時代や分野の中で多くの人が当然のことと見なしている価値観のことです。そこで革新的な大きな変化があると「パラダイムシフトが起こった」という風に使われます。例えば、天動説から地動説へと天文学の常識が変わるようなことです。クーンは天動説から地動説へと、その常識がどのように変わったのかということを研究した結果、「それは世代が入れ替わったからだ」と結論づけているそうです。(※1)
つまり、「天動説を信じていた人が皆、いなくなってしまったから」なのですね。それを考えると、自分が生きている間にSRI、CSR、ESGという言葉が、かくも人口に膾炙する状況に立ち会うことができたのは、何とも幸せなことであったと、感慨深いものがあります。グッドバンカー社は、SRI専門の投資顧問会社で、企業のE(環境)S(社会)G(ガバナンス)の調査・評価レポートを、金融機関など機関投資家に提供することを業としています。
はじめて金融業界に入った1988年以来、日本でSRIを世に出すべく奮闘してきて、苦節十年、アジア初のSRI型金融商品「エコファンド」を世に出して、さらに十年の今日、SRIは今や全世界で30兆ドルを超える市場になったと言われています。昨今日本では、ESG投資と言う言葉が最もポピュラーですが、SRI、CSR、ESG、SDGsという言葉が前後の脈絡なく、とびかっており、専門家と称する人たちが適当な解釈をしているのは、困ったものです。
例えば、SRIとESGは違うとか、CSRは企業の競争力に結びつかない、などなどです。ちなみにアジアの経済メディアで最初にSRIについて取り上げたのは、1997年8月6日付日経金融新聞で、当社のアナリストが「水曜ゼミナール」に寄稿したものです。この記事を読むと、今のSRI、ESGの議論が、23年前とほとんど変わっていないことに驚かされます。
アジア初のESGの調査・評価機関である当社にとって、SRI、CSR、ESG、SDGsのそれぞれの定義と関係性は、極めて明瞭です。
SRIとは、英語のSocially Responsible Investmentの略で、日本では社会的責任投資と訳されています。株式や投資信託を買う、自分の銀行口座に預金をする、債券を買う、保険に入るといった、自分の金融行動が社会的に何をもたらすか、つまり、自分の金融行動には社会的責任が伴うということを意識して投資する哲学です。
では、SRIは何に対して投資をするかというと、CSR(Corporate Social Responsibility-企業の社会的責任)に投資します。企業は社会的存在であり、社会が求める商品やサービスを提供することで、企業として存続するのですから、企業には明らかに「社会的責任」があります。では、企業の社会的責任は何かというと経営における、E(環境)S(社会)G(ガバナンス)への取り組み、そのことが経営の競争力と企業価値の増大に結びついているか、同業他社に対する相対的な優位性を持っているか、その結果、中長期的な株価の上昇につながるかということを分析、評価するのです。分析・評価するためのツールとして、独自の格付システムを開発、800 項目について、業界ごとの特性を考慮しながら点数化しています。技術の進歩や社会の変化にあわせて、定期的に評価指標や配点の見直しがなされます。
このESGを評価するアナリストの仕事は、日常的には、企業の数値化されている ESG 情報を自社開発のデータシステムにインプットするなどの地道な作業です。企業訪問のアポイントをとったり、実際に訪問にこぎつけて、面談の中から様々な情報を収集・分析、評価するので、高いコミュニケーション能力が求められます。
また、企業の持っているいろいろな技術や製品・サービスの優位性、市場性、先進性、成長性を見極め、それが ESG ファクターのどこに、どのように、いつ、顕在化するかを見つけ出そうとせねばならず、アナリストには専門性の高い知見のみならず、高度で広汎な知識と判断力が求められます。ものごとの本質をつかむ深い洞察力も重要です。そのため、当社では 1998 年の設立以来、アナリストチームのダイバーシティ(多様性)を構築することに努めてきました。現在、12名のアナリストがいます。そのうち、5名が證券アナリストの資格を持っています。年令は30代から80代までと幅広く、男女比は同数です。金融のバックグラウンドを持っているのは6名、残り6名は公務員、事業会社、メディアなどの出身です。このようなアナリストのバックグラウンドの多様性は、視点の豊かさにつながり、ESG 情報の収集・分析、評価という、当社の業務の質そのものの向上をもたらすからです。調査対象企業に対しては、なるべく訪問をし、評価のフィードバック面談などを通して、評価する側とされる側、双方にとって、ウィンウィンの関係になるよう努めています。
調査および評価の手法におけるこの原則は、1998年の会社設立以来、全く変わっておらず、1999年にエコファンドを、日興証券、日興アセット社と共同で商品化した時も、この原則にのっとって、プロダクトデザインがなされ、プロトタイプが作られ、運用パフォーマンスのシミュレーションが行われました。
最近ある金融機関が、当社のESG評価データを使って、新商品を開発した際には、2,000回のシミュレーションが行われて、当社ESGデータの有効性が、厳しく検証されました。
SDGsとESGの関係について言うならば、ESGはSDGsの金融版である、とみなしています。2015年に国連のイニシアティブとして発表された、SDGsの17のゴールは、その前身のミレニアム開発目標に比べ、それほど目新しいものではありません。それが、ここにきて、にわかに金融業界で、SDGsの大合唱になった理由は、やはり「天動説から地動説へ」ではないですが、金融業界のプレーヤーの属性が変わったこと、若くなったこと、つまり世代が変わったことだと思います。特に世界的に投資家の属性が、変わったと言えるのではないでしょうか。SRIが今や30兆ドルの市場になったと言われますが、もともとSRIは女性の投資家、実務家が多く、女性の経済力の伸長と、SRIマーケットの拡大には、相関があると言われてきました。実際、最初のエコファンドについて言うならば、アメリカ、イギリス、フランス、スイス、日本とすべて女性たちによって創られ、スイスを除いて、全員子供を持った女性たちでした。
また、SDGsは国連のイニシアティブなので、国としての目標を達成しなければならないのですが、どの国の政府も経済的に余裕がなく、2030年のゴールまでに、目標を達成するために、2.1兆ドルが不足している、という試算もあるそうです。そのために、SDGsという国際ゴールの達成に、民間資金を動員しようとしているということも、あるかもしれません。
また日本の場合は、1,800兆円の個人金融資産を、SDGsやESGという美名のもとに、預金から投資へと誘導することによって、株価を支え、経済の安定化をはかる深謀遠慮もありそうです。
どちらにしろ、今後、日本においても、ESG投資がメインストリーム化する方向性であろうと思われます。そのことは、ESG調査、評価が、投資成果に結びつくという証明が、ますます求められるということでもあると、気持ちを引き締めている昨今です。
※1. 瀧本哲史「君に友だちはいらない」講談社
筑紫 みずえ